石原 敬三
「ビタミンYOU元気が出るエッセイ」入賞の軌跡

2002年 『桜花号』 『銀河号』 『風雅号』
2003年 『春耀号』 『流星号』 『錦秋号』
2004年 『万緑号』 『匠風号』
2005年 『春夢号』 『祭風号』
 ビタミンYOU賞を含み10回連続入賞

 

『生きるビタミン』
 三年前の第二号の「ビタミンYOU」に初めて投稿した。退院して間もない頃で、家の周りをぶらぶらしているときに近所の子どもと交わした会話で心が開かれた経験を「竹返し」という随想にまとめたものである。思いがけず入賞し、掲載された。
 義父のこと、クラス会のことなど応募しているうちに書くことが自分を見つめさせてくれていることに気づいた。同時に、家族を含め周囲の人たちの何気ない会話や笑いや涙にそれぞれ生きるために頑張っていることを当たり前のことなのに妙に新鮮に感じられたのだ。私はそれをそのまま綴って送った。
 七回目当たりから十回入賞が目標になった。見たこと、感じたことをメモしておき、時期が来たらその中で一番思いの強いものを選んで気負わずに書いた。
 十回入賞を果たした今、考えてみると、他の入賞作品から随分教わったような気がしている。技術的なことだけでなく、文字通り生きていく上でのビタミンを摂らせていただいた思いがする。
 書くことで私の目は一層若返ったし、何より「さあ、明日も生きるぞ」という生気が感じられるのである。


タイトル
竹返し
裏庭に出て庭木を見ていたら「おじいちゃん、こんにちは。」
突然、その女の子から声をかけられた。おじいちゃんという呼びかけに戸惑ったが、おじさんという年でもない。苦笑しながら私も挨拶を返した。
散歩に行きたい
義父は今年95歳になる。6年前に義母に先立たれ数ヶ月後、転んで腰椎を痛め、それ以来寝たきりの身体になってしまった。
クラス会
私はクラス会の案内をどうするか迷った。本心を言えば誰とも会いたくはなかった。二度と思い出したくもなかった。だが、考えてみると、五十何年の間、私を気にかけてくれていた仲間がいたということも事実だった。
めざす道を行け
君の考えは素敵だ。一回きりの人生だし、君の人生だ。理想に燃えてみろ。そして、大いに光り輝け。但し、身体だけはこわすな。父より
母に学ぶ
母は六歳の時に子守奉公に出されたという。そのせいか、文盲に近かった。地方の役人だった父と結婚してから独学で仮名書きだけは覚えたようだ。
焼肉祭り
人口十一万の、こんな我が町に四年前から「焼肉祭り」なる行事が催されることになった。聞くところ、転勤族の発案らしく、肉と一緒に「凍れ」もいただこうという、ちょっと開き直った感じで生まれたらしい。
とんちゃんの選択
病人って自分と闘っているんですものね。みんなと一緒に卒業はしたいけれど、今はそんなことより父さんを励ましてやりたいんです。半年でも、一年でも生きててもらいたいんです。
昔がもげる
アルコールと談笑が四十数年の歳月を吹き飛ばした。私の前にいるのは目の離せないやんちゃないたずらっ子ばかりだった。
青いおじいちゃん
ふと、一枚の絵の前で足が止まった。中央におばあちゃんの顔がある。紅く細い縁取りのメガネをかけている。みんなと同じように皺の線が額や鼻の脇を這っている。私が興味を感じたのは左上だけが青く塗られ、そこに青いクレヨンでもう一つ顔が描かれていることだった。髪の毛も青だが、何重にも塗られていた。眼も口も顔の輪郭から飛び出さんばかりに勢いがあった。
希望印
「あなたが出すように話したの?」
一番上の手紙を開いた。息子の字だった。「放射線は熱いんですか? でも、三か月で治るそうです。我慢してください。今日から、妹と替わり番こに手紙書きます。楽しみに」 二枚目はハガキで、赤いナナカマドの実がはみ出していた。「きれいになりました」と添え書きがしてあった。私は首を横に振ってその場を離れ、トイレで泣いたものだった。こういうことを考えついた子どもたちがいじらしかったのだ。その時も、今の今まであれは子ども二人の発案と思っていた。

戻る