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久ぶりの中学の同期会だった。
卒業してから三十年余り、社会人になってからは家事や仕事に追われて無我夢中だった朋輩たちも、女は子育てが一段落し、男も働き盛りながら気持にゆとりが出てくる。そんな頃である、昔の仲間が懐かしく思えてきて、休眠していた同期会を開こうという声がふつふつと盛り上がったのは。
会場で開宴準備の確認をしている時、声を掛けられた。
「やぁ、濱ちゃん! 幹事ご苦労さん」
声の主を振り返ったが全く思い出せない。と、彼の方からすぐオレ……と名乗ってくれた。野球が上手かったSだ。彼は痩身のサウスポーで投球ホームも恰好よかった。今は関取みたい、頭もつるつるで昔の面影を探すのは難しい。
「たいした貫禄だな。さすがは社長さんだ」
同期会の案内の返信に添えられた彼の近況報告は、苦労が報いられた成功者の代表例として記憶に残っていた。Sは、今、ある地方都市で弁当屋の社長をやっている。最近は“おかあさんの味”をキャッチフレーズにした惣菜弁当が当って、商売繁盛のようだ。
「いや、だんだん競争が激しくなってね、忙しい割には儲からないよ。それよりおふくろさんは元気にしてるかい?」
「残念ながらもう亡くなったよ」
「まだそんな歳じゃないだろうに・・・」
彼は殊勝な顔で悔んでからこう続けた。
「あの時は、濱ちゃんのおふくろさんに救われたな・・・」
思い当たることがある。きっとあの夜のことだ。
彼は戦災孤児だった。小中学生の頃はある養護施設にいて、そこからぼくと同じ公立の学校に通っていた。
うちの親は、施設の子だからといって別け隔てすることなく、子どもたちにも彼らに偏見を持つことを厳しく戒めた。高邁な信条からというより、東京空襲の夜、炎の中を家族全員が命からがら逃げ回り、あやうくぼくが孤児になるような実体験をしたからそうしたのだろう。自然、ぼくの仲間もこだわりなく、彼らと一緒に狭い空き地でゴロ野球などをして遊んだ。
うちに来る友達に人気があったのは、母が「一緒にどうぞ」と声を掛けてくれる三時のおやつである。戦後の食料不足時代のこととて大したものはなく、蒸かし芋とか自家製の雑パンくらいしかなかったと思うが、腹空かしの少年たちは何よりの楽しみにしていた。
しかし後から省みるに、その手作りのおやつをお裾分けして貰いながら、
彼は複雑な思い出を噛みしめていたのではないか。彼の心の屈折が表れたような事件が起きた。
当時は、中卒で就職する人が半数くらいはいた。彼も就職組の一人。スポーツは万能だったが、勉強の方はいまいちだった彼のこと、就職コースは自然の成り行きのように思われた。
中学を卒業して間もない、多分三月の終わりだったろう。彼が施設から逃げ出した、という第一報が流れてきた。次いで、クラスメイトの家を訪ねてはお金の無心をしている、という噂が伝わった。彼が現れるや、面倒なことに捲き込まれたくないと玄関先で追い返すところばかりという。
翌日の夜、遂に彼がうちにも来た。戸口に立っていたのは、いつものひょうきんなSではない。やつれ果てた姿に目だけが異様に鋭く光って近寄り難い。まるで飢えた野獣だ。行った先々で玄関払いされ、追い詰められたのだろう。
ぼくは何もいえず、大きな図体を縮め、母の後ろでそっと成り行きを見守る。と、なんと母は彼を家に上げようとするではないか。
「お腹が空いているでしょう。残り物だけど食べていらっしゃい」
どうやら、彼が現れることを見越して用意をしていたらしい。彼は訝しげに上目づかいで様子をうかがっていたが、母の笑顔と味噌汁の匂いに惹かれたのか、やがて卓袱(ちゃぶ)台の前に座り、出されたものを黙々と食べ始めた。
母が家出のことを切り出すのを今か今かと待っているのに、彼が食べている間もお茶を飲み始めてからも、説教じみたことは何もいわず、彼が活躍した運動会などの話をするばかり。それどころか、帰り際には、ニコニコしながら
「こんなものでよければいつでも食べにいらっしゃい」
といって送り出す。
彼は黙ったまま、まともな挨拶もしないで立ち去った。期待していた劇的なシーンはなく、あっけない幕切れ――。ただ、帰り際の彼の目はもう獣のそれではなく、心なしか潤んでいたようだ。
彼が施設に戻ったのはその翌朝である。
「あの夜のことか?」
「そう、あの時、ここでも追い返されたら・・・と思いつめていたんだ」
ところが、と彼は続ける。
「濱ちゃんとこのおふくろの味を味わった途端、オレの心に溜まっていたものが、すっと溶け出したような気がしてね・・・」
同期会の翌朝、仏前に線香を上げながら母に告げた。
「お母さんの、ご馳走に込めた力がやっと解ったよ」
「おまえが孤児になって飢えている姿がS君に重なってね」
写真の中の母は、ちょっと照れたときの眩しそうな微笑みを今日も浮かべた。
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