| No. |
タ イ ト ル |
著 者 名
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1
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これだけは |
今野 芳彦 著 |
| 何年ぶりかなあ。メガネをかけ忘れちまって、怒るおまえの顔も霞んでみえた、目の前には、シワもシミも消えた美しい人がいたんで驚いたよ。これからは時々メガネは外すことにする。これは約束できる。間違いなく約束できる。 |
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2
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濱田 優 著 |
「あの時は、濱ちゃんのおふくろさんに救われたな・・・」
思い当たることがある。きっとあの夜のことだ。
彼は戦災孤児だった。小中学生の頃はある養護施設にいて、そこからぼくと同じ公立の学校に通っていた。 |
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3
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懸命に生きる |
平岡 峻輔 著 |
| もしかしたら人間は、たとえ子どもでも本能的に自分の行く末を悟り、短かい人生を懸命に生きるその間に、肉親に対して己れの先長いはずの、一生分の世話もかけ、喜ばせもし、さらに──こんな病気の私でも、一生懸命頑張って生きているよ──と、ありったけの元気と喜びを、周囲の者に与えているのかと思えて、不憫でならない。まさに人生は、無常をもって無常を克服しつつ、元気を出して行くものだと、教えてくれているのかもしれない。 |
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4
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希望印 |
石原 敬三 著 |
「あなたが出すように話したの?」
一番上の手紙を開いた。息子の字だった。「放射線は熱いんですか? でも、三か月で治るそうです。我慢してください。今日から、妹と替わり番こに手紙書きます。楽しみに」 二枚目はハガキで、赤いナナカマドの実がはみ出していた。「きれいになりました」と添え書きがしてあった。私は首を横に振ってその場を離れ、トイレで泣いたものだった。こういうことを考えついた子どもたちがいじらしかったのだ。その時も、今の今まであれは子ども二人の発案と思っていた。 |
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5
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8年間の夢にかけた少女からの贈り物 |
黒田 朋子 著 |
| 人生は、出会った人々によって大きく変わるという。彼女を知っていたはじめの数年間はまったく知らなかった、彼女の真の顔。それを見ることが出来た人は、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになるだろう。こんな人に出会えば、見れば、”自分だって”と思わずにはいられない。 |
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6
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年輪の香り |
梓 光一 著 |
| 野生動物の鋭さからすれば、はるかに劣っている人間の臭覚だが、それに人生経験という味付けがなされたとき、初めて会った人に対しても、第一印象だけで、この人は良さそうな人だとか、自分に合いそうな人だとか、匂いでかぎ分ける力が備わってくるのではないか。将来にわたって、この人とはうまくやっていけそうなのかも、この初対面の匂いでかぎ分けしまう人もいるだろう。 |
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7
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山越えの道 |
長坂 隆雄 著 |
祖母の集落では、小学校の高学年になると肝試しとして、死者の葬儀があると、日が暮れるころ火葬場に行き、漂う『火の玉』を確認して初めて立派な男の子として認められたそうである。恐ろしくて行けない者、途中で逃げ帰る者、漂う『火の玉』を見て失心する者など、さまざまなドラマがあるそうである。祖母の集落の伝統を耳にして、私は急に大人になったような自信が沸き上がってくるのを感じた。
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8
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恩師がくれた『元気』 |
松野 為一 著 |
| 6年生の時、先生は真剣に言ってくれた。「松野、おまえは来年は高等科に入るし、卒業したら就職しなければならない。しかしそんな体では大変だ。どうだろう。こんなことは学校ではあまり勧められないが、新聞配達をやってみたらどうか。初めはどんなにつらいか、私にはよく分かる。だけどその苦しみには耐え抜くことは、お前が強く生き抜く力をつけることだ。『継続は力なり!』という有名な言葉がある。決して中途でやめてはいけない。どうだ、やれるか」と。 |
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9
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二人の証言 |
原田 武信 著 |
ふと私は「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する」(ヤコブ書)という聖句を思った。おふくろは、大言壮語をした覚えはないと言うだろうが、「舌は火である」(同書)ことに思いが至っていなかったのではないか。「言葉の怖さ」を考えていなかったのではないか。
今までずっと私は、おふくろは嫁・姑の確執に負け、泣いていたのだと思っていた。だが、泣いていたのは傷つけられた弟と、自信を失っていた兄だったのだ。 |
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10
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追いかける |
眞保 慶一 著 |
| 僕は今でも、たまにあのバーへ足を運ぶ。そして今日も久しぶりにカウンターに座っている。マスターと話をしていた中でふとした時に「・・・働く場所が違えども、今年からアイツが同じフィールドに立って仕事をする。こんな嬉しいことはない・・・」と、マスターがポツリ。・・・今のセリフは聞こえなかったことにしよう。 |
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11
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小野小町の元気 |
前川 幸士 著 |
| 男性に対する冷酷高慢な態度、あるいはそれを伺わせる歌、さらには驕慢な恋の歌とされる歌についても、恋いの苦悩から距離を保ちたいということであるとも考えられる。漢詩文の教養もあり理知的な小野小町は、情熱的で奔放な恋の歌人と両極端にある存在であるが、これを矛盾することなく両立させる力こそ「元気」なのである。 |
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12
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元気って飛びまわること? |
須田 均 著 |
特技も実力もないただの新入社員が、他人の二倍の仕事をこなそうなんて、思いあがりもいいところだということに気づいた。この入院生活で、人生は健康を保って元気であることが一番、真の元気は考えて行動することだということを悟った。
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13
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死ぬまでやっても終わらない |
宮尾 美明 著 |
| 死ぬまで続けても終わらない、死ぬまで追い求めてもつかまらない、奥の深い深い道、それらが今の私の大きな底力となっている。今日も学校の帰り、急いで図書館に滑り込んで、西日の強い閲覧室で、あの豪華絢爛、夢のような錦絵の世界の住人になろう。 |
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14
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社会保険労務士試験も越えて |
松平 貴弘 著 |
| 平成16年11月12日、障害のある僕が合格率が一割にも満たない難関といわれている国家試験の一つ、社会保険労務士試験に合格することができた。最初は僕も弱かった。自分の障害にくじけ、死ぬことを何度も考えたりしたが、僕は立ち直ることだけではなく、あることに気づいた。「障害者は本当はすごい人ではないのだろうか。障害がない人と同じことができたりするのだから」これは大きな自信となり、その後がんばるための原動力になった。 |
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15
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62歳のアクティーブライフ |
田中 義治 著 |
| 私も、約2年前の定年時、きっぱりと会社を退職し、ハッピーライフであるはずの自由の身になりました。しかしながら、毎日変化に乏しく、何をやるにしても、ノルマがなく、時間の制約もないので、能率があがらず、充実感が感じられなく、良くないことばかりを考えている生活を、悶々としながら送っていました。 |
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16
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娘の挑戦 |
平野ゆき子 著 |
小さく生まれた娘を丈夫で元気な子どもに育てるのが自分の務めだと思い、ときにまわりからは過保護と思われるほど手をかけて育ててきたような気がする。昔と同じように相変わらずやせているが、わたしの願い通り、娘は元気に育った。そして、自分の可能性に挑戦するために韓国に留学し、二年間の留学生活を終えて帰ってきた。自分の道を歩き出した娘を見ながら、胸にこみ上げてくるものがあった。
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イベントが大好き |
佐藤 謙治 著 |
| 戦後の貧困を復興して繁栄すると、市民を楽しませるイベントやパフォーマンスが多くなった。映画、コンサート、演劇などの娯楽も多くなり、人々は、特に私たち定年者は暇なので、このよき時代を大いに楽しんでいる。名古屋はイベント好きである。出初め式ではじまり、エキトピア、日本マンナカ祭り、港祭りなどが続く。特に盛大なのは、名古屋祭りである。 |