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勝利の日まで
―君がくれたビタミンUとともに―
岡村 豊

僕が、この施設にリハビリに通うようになってかれこれ1年になるが、当初僕はここに通うことに積極的ではなかった。 

しかし、頚髄損傷で四肢が利かなくなった身体では働くことも侭ならなかったし、かといって自宅でゴロゴロしていると、嫁さんに負担をかけることになるので、自宅まで送り迎えして貰えるこのサービスを受けることにした。 

自宅に迎えに来てくれるのが9時45分頃、帰宅が4時頃なのでその間は嫁さんが僕の面倒を見ないで済むことになる。

障害者になって初めて気がついたが、どんな障害でも障害を持つと家族に気兼ねして肩身を狭くして生きていくことになるし、金銭についてもまるで禁治産者のような扱いになってしまう。

必然的にプライバシーも持てないし、自由度は限りなくゼロに近くなってしまう。

家に居ると、どうしてもそういうことをネガティブに考えてしまうので、それよりは施設であっても、外に出られることは気分も変わるし、僕には嬉しかった。

初めは消極的だったが、その施設に通うある女性と知り合ってから僕の考えはまったく変わった。

初めはリハビリに通う1人でしかなかったが、何回も顔を合わせるようになると自然に彼女と話すようになった。

話の中で、彼女がご主人や母親を亡くされたことを知ったが、彼女の表情からはそうした悲しみの連鎖感じ取ることはできなかった。

だが、それは彼女の精一杯の強がりであることは明白だった。
彼女はご主人との2人暮らしだったから、突然ひとりになってしまった。

いつも自分でご主人と彼女の2人前の食事を用意していたから、ひとりになると寂しさも人一倍であろうことは想像に難くなかった。

彼女は一度脳梗塞で倒れ、しばらくは杖で歩いていたが再び脳梗塞で倒れ、現在は車椅子での生活となっている。

ご主人の葬儀の後、しばらくはリハビリを休んでいたが、また顔を出すようになった。人前では涙を見せまいと、必死になっているのがよく見て取れた。

僕は慰める意味もあって、彼女とよく話をするようになった。
そして、僕が“僕は歩けるようになって見せるからね、そうしたら一緒に麻布でも歩こうよ”と冗談めかして言うと、彼女は決まって“歩けると信じていれば、きっと、また歩けるようになるよ”と僕をいつも励ましてくれた。 

客観的に見れば、股関節も悪い彼女が歩けるまでに回復するのは難しいかも知れないが、それでも彼女はその事実を認識していながら頑張っている。だから僕も頑張ろうと思っている。

セラピストにやらない方が良いと言われて、涙を浮かべても練習をしたがる彼女を見ていると、医者やセラピストが何と言おうと自分のモティベーションこそが、機能の回復には一番大事だということを彼女が教えてくれている気がするのだ。

僕は一度、自宅内で転倒したことがある。
その後しばらくは歩く勇気を持てなかった。

恐怖心に捕らわれると足が一歩も前に踏み出せなくなるが、それは中途で障害を負った人間に共通するもので、そこからもう一度勇気を持てるようになるまでに2ヶ月近く心の葛藤があった。だが、その間も彼女の話を聞くといつも勇気づけられた。

先日も施設から花見に行ったが、その時も彼女とずっと一緒だった。車の中で僕は彼女に、最初に倒れた時と二度目に倒れた時の心の動きを聞いてみた。 

当然、二度目の方がショックは大きいことは分かっていた。杖を持てば歩けたものが、杖を持っても歩けなくなったということは天と地ほども違うからだ。

でも彼女は笑みを浮かべながら“歩けたと言っても杖に縋(すが)って歩いていたから、二度目に倒れて車椅子になってもそんなに驚かなかったわよ。だからそれほど気にはならなかったのよね”と僕に言ったが、それは嘘だと思う。

僕も、杖で室内を一時歩けていた時に手術を受けたことがあるが、手術後しばらく歩けなくなってしまった。その時の不安な気持ちは今でも忘れることができない。 

立って歩けることと、車椅子に坐っていなければならないことの間に、これほどまでも異なる相違があるのかということを、嫌というほど感じた。きっと彼女は僕に気を遣ってそういう言い回しをしたのだと思う。

僕はいつも彼女から元気を貰っているが、いつか必ず彼女の前で歩く姿をみせたいと思っている。

                         

(千葉県発信)

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