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戦争直後、日本の食糧不足と飢えを救うためにGHQ(連合軍総司令部)の特別許可で、南氷洋(南極海)の捕鯨に、キャッチャーボートの一等航海士(メツッアン)で参加することができた。
片道約20日足らずの航海で漸く南緯60度付近に達し、氷山を見た時は感激した。
11月から1月いっぱいは南氷洋の夏で、白夜であったから朝か夜かがわからぬことが多かった。
コムパスは使えないので、母船から方位をとってもらって、風を右前から受けるようにして走れば母船に行きつくといわれ、アンカーダビットにウエスをぶらさげて、そのウエスがなびく方向を見ながら、捕った鯨を曳っぱって母船に向けて走った。
舵取り(操舵手)以外は、皆つかれてしまってベッドに横になっていたが、船長のみは「母船が見えたら知らせよ」と言って部屋のソファに横になっていた。
私自身も部屋のソファに横になって、うつらうつらしていた。
そして口が乾いたので缶詰の羊羹を一本ぺろっと食べてしまった。
甘いものは、チョコレートや羊羹が、一番疲れを癒すのに良い。
年をとっても夜になると喉が乾くので、いつも枕元に氷砂糖を置いてしゃぶっている。
氷砂糖は甘みが少ないので、これをなめているとノースモーキングにもなる。
それに遠泳のおりの必需品でもある。
学生時代に10裡遠泳にチャレンジした時につき添ってくる船に近づいて、口の中に氷砂糖を2〜3粒放り込んで貰って、また泳ぎを続け、約八時間かかって、しばらく出発した桟橋にたどり着いた辛さは忘れることができない。
キャッチャーボートのメインマストの高さは、水面から平均して13メートルある。
白夜の海であるから四十六時中、鯨を見つけ追いかけている。
それ故に小用はマストの上から放出してしまう。
ブリッジで双眼鏡を持って船の安全航行に気を配っている船長にも、放尿がかかっているかも知れない。
これこそ「知らぬは仏なり」である。
学校(水産高校)出たばかりのボーイは、この揺れるマスト上のトップ(見張りをするところ)に、朝ごはんを持って(いつもトップには二人以上つめている)行かねばならない。
「ごはんです」とボーイが近くまで登ってきて、それをトップにいる人に渡すことが、ひとつの訓練にもなっている。
それでも、ごはんや味噌汁が冷えていると、トップマンから文句を言われる。
今のように保温器が無い時代であるから、少し熱目にして持っていくのがコツである。
ボーイは朝ごはんを何とか受けとってもらって、やれやれとした顔で、揺れるマストから降りる。
このことが楽にできるようになって、はじめてボーイとして一人前になる。
私自身も大学(水産)を出て、捕鯨船に乗った時はセーラーで、港に入るとボート当番をやらされた。
北海道の厚岸などは、今は橋がかかっているようだが、昔は厚岸と眞竜にわかれていて、捕鯨船はその両方の中央に錨を入れる。
したがって、上陸した乗組員が帰船する時は、両方から笛を吹いてボートを呼ぶので、よほど注意をして、笛の音を聞かないと迷ってしまう。
今度は厚岸で給油給水と食糧補給をする予定だと、船長から言われると、指折り数えて、厚岸でボート当番にならなければ良いと思う。
逆にボート当番が回ってくると思われる甲板員(セーラー)はがっくりしている。
捕鯨船員の乗組員の甲板部員にとっては、厚岸は鬼門中の鬼門である。
それ以外に、厚岸湖では天然の牡蛎が採れるので、これは最高の味がある。
厚岸に行った折は、この牡蛎を食べることを絶対に忘れないことである。
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