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うつ病で1年間休職した。7年前のことだ。
早い花見を終えて4月に職場復帰したとき、何か目標をもたないと、そのまま自分がだめになってしまうように思えた。
名古屋シティマラソンの10キロジョギングに参加することを思い立った。
4キロは次男の伴走で経験があったが、10キロは未知の距離である。
制限時間は60分以内。その一時間を走り通せるかどうか、それには練習を始めるしかないと決心した。
それから6年、ジョギングはすっかり日常生活に定着している。一番の元気の素である。
走り始めたときは200メートルも行かないうちに、もう息が切れてしまった。少し走っては休み、少し走っては休みの繰り返しで、10キロははるか彼方の距離であった。
そんなとき職場で、首を振りながら走っていた君原選手の述懐を聞いた。
「走っているときは、それはもう苦しいものですよ。次の電信柱まで行ったらもうやめようと、一本一本の電信柱を目標に走っていました」。
そうだ、街中には信号機がいっぱいある。一つ一つの信号機を目標に走る距離を伸ばそう。
歩いて20分ぐらいかかるから、距離にすると1.5キロぐらいのところに大きな本屋があった。
信号機の数は4つ。まずはそこまでを目標に定めた。夏の暑いころだった。初めて本屋まで行けたときには汗を流し、息をぜいぜいさせていた。13分ほどかかった。今なら9分だ。
冷房が効いた本屋でしばらく立ち読みをした。
呼吸を整えてから、同じ道を走って帰った。
週に2回ほどのペースで走り続けた。
慣れてくると、走ると決めた日に雨が降るのがうらめしかった。
一度、小雨の中を走ったことがある。
5分も走らないうちにぐっしょり濡れてしまった。
汗とちがって雨は体温を著しく奪う。このときばかりは、途中で引き返すことになった。
ジョギングでスーパーへの買い物に出かけたときもある。
少しずつ走り慣れてきたころだ。しかし、これは失敗だった。
空のザックなら走ることはできるが、荷物が詰まったザックを背負っては走れず、歩いて帰ることになってしまった。
秋になってから本屋に立ち寄るのは止め、コースを左回りに走るようにした。
距離は5キロ、時間にして30分。そして迎えた11月23日の名古屋シティマラソン10キロジョギングを57分台の記録で完走できた。
一月に開かれる豊明マラソンの5キロにも参加するようになった。
冬場はジョギングの服装が難しい。
厚手のウィンドブレーカー上下を着て走ったこともあるが、これは汗まみれになってしまった。
この汗が冷たい。しかし、スポーツシャツ一枚では、信号待ちのときに寒くてたまらない。
今では、薄手のウィンドブレーカーを着て、首にタオルを巻いて走るようにしている。
暑くなればタオルやウィンドブレーカーで調整できる。
本番は信号待ちがないからスポーツシャツ一枚だ。
スタートまでの待ち時間が寒かった。
ゴール前では北風が強く、息がつまるほどだった。
それでもゴールする瞬間は格別だ。
ジョギングしているときは、苦しいものだ。
どうして苦しい思いをして走るのか、疑問が頭をかすめるときもある。
しかし、その思いにとらわれてしっかり頭の中が空っぽになり、リフレッシュできる。
そして走り終わったときの解放感がたまらない。夏場は、すぐにシャワーを浴びて、そしてかき氷を食べる。爽快感が体中を突き抜ける。努力することで目標に到達できるという達成感もうれしい。
一生懸命やっても努力が報われないことが多いが、ジョギングは少しずつの努力の積み重ねの結果が味わえる。6年連続で名古屋シティマラソン10キロジョギングを制限時間内に完走できた。
記録は、良かったときで53分台、悪かったときで58分台だった。
できることなら毎日でも走りたいが、長男のお古の靴を履いて無理したためか、右膝を痛めてしまった。もう3年になる。
それでもサポーターを装着して、名古屋シティマラソンを目標に、週に一回のペースで走り続けている。
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