.
十五年前、神奈川県山北町中川の箒スギを訪ねた。
山間の道路に沿った斜面地に堂々の姿で立っている。
樹高四五メートル、幹周十二メートルの県内一の巨木だ。
この巨木がかつて集中豪雨による斜面地の土砂崩壊をひとりで防ぎ、下の集落を救ったことを知った。
木は動かない。そこで一生をまっとうする。しかし長命だ。
国内で数千年、世界では一万年近い歳を刻んでいるものもある。
移動の自由がない代わりに、動く動物とは桁違いの寿命を与えられている。
しかも老樹になっても毎年新芽を出して若返り、花も咲かせて青春を楽しむ。
箒スギとの出会いをきっかけに巨木巡りを始めた。
神奈川県には、昭和五十九年に選定した「名木百選」があるので、最初はこれに従った。
そして清川村煤ヶ谷のシバノキ、中井町のエンジュ、小田原市早川のビランジュなどは国内でも誇れるものであることを知った。
興味がこうじてくると、百選以外の巨木探しがしたくなった。
見つけたのは、箱根町三国峠のブナで幹周は三、八九メートル、同じく箱根町内の神山のドウダンツツジ幹周二、八メートルに、宮の下のイタヤカエデ幹周三、三八メートル、山のホテル傍のヒメシャラ幹周二、五九メートルなどである。
どれも町の文化財樹木にもなっていなかった。
県内の巨木巡りが進むと、県外にも目がいくようになった。
平成六年まではブナでは国内一だった静岡県函南町のブナをはじめとし、熱海市来宮神社の国内二位の巨木のクス、伊豆の河津来宮神社のクス、三島市三島神社のキンモクセイのほか、山梨県山高神代サクラ、岐阜県根尾谷の薄墨サクラなどを訪ねた。
それぞれ写真をとり、見ての感想などのメモをとった。
規定の如くに森にも惹かれることになった。
神奈川県には平成元年に選定の「美林五〇選」があるのでこれに従った。
箱根神社裏のヒメシャラ林、丹沢堂平のブナ林、丹沢大洞のケヤキ林、大山阿夫利神社のモミ林、逗子市神武寺のスダジイ林などを訪ねた。
そしてそのうち、モミ林とスダジイ林は国内でも誇れるものであることを知った。
森行きは妻と一緒のことが多かった。
森林浴だけでなく、そこを散策しているだけで、自然の懐の中に入っている感覚や自然に抱擁されている感覚を味わった。
あるがままの自然、それ故の優しさに包まれてごく自然に二人して瞑目合掌したりした。
夫婦の会話が甦ってくるのを実感した。
世界自然遺産の鹿児島県の屋久島や秋田県の白神山地にも、ツアーに参加し二人で出かけた。
屋久島と白神山地には圧倒されるばかりであった。
倒木更新のように生と死がそのまま抱え込まれているところとともに、それに費やされている深い歳月に思いを馳せ、神秘な森、桁違いの森の存在を知った。
新潟県鍋倉高原のブナ林、沖縄本島のやんばるの森などは家族四人で出かけることとなった。
森には精霊が宿ると古来からいわれてきた。
苔蒸した幹や根元、それらを覆うような緑の幽玄の世界、本物の森の中にはむしろ凛とした雰囲気が漂っていた。
気持ちが洗われる、エネルギーが体の中に入ってくるなどの言葉が、娘たちの口をついてでてきた。
森に関するエッセイをよく読むようになった。
すでに絶版になっているものは、古本屋を巡って探してきては読んだ。
巨木を語るものも最近は多くなった。
気分転換というよりも読書の時間は森に通う、森に入るひとときになった。
中でも高田宏氏のエッセイを気に入った。
東京に住みながら執筆に入ると八ヶ岳の麓の山小屋に移る。
一年の三分の一は山小屋に暮らすことになるという。
圧巻だったのは幸田文氏だった。
明治の文豪幸田露伴の次女で、七〇歳少し前から巨木に興味を持ち始め、駆られる思いで屋久島を訪ね、人に背負われての縄文スギ巡りには心打たれた。
続いて静岡県の安倍峠をやはり背負われて訪ねている。真剣さと執念にはかなわないし、そうまでしただけの鋭い文章は研ぎ澄まされてさえいる。
ほかに山尾三省氏、田淵義雄氏、高橋義夫氏、荒川じんぺい氏、柳生博氏、高木美保氏などの本を読んだ。
最近、巨木や森に関する新聞記事なども多い。
癒しの時代ゆえと理解されているが、私はもう少し積極的な捉え方をし生き方にかかわっているのではないかと考える。
人間は一生に二度、木に近づくという。
一度は少年の時、今一度は歳をとってから。
小説「夜明け前」で知られる島崎藤村五〇歳の時の言葉である。
私が老境にさしかかっているという意識はないが、森や巨木への意識の傾斜は事実深くなっている。
巨木や森の存在、生き残ってきたのが偶然ではないということもおぼろげながらわかってきた。
ともあれ、巨木の前に佇み、梢を見上げながら、幹を手のひらでピタピタたたいたり、撫でたりしていると遙かなる時の流れを感じさせてくれ、そのたびにどうしたらこの巨木を後世に残せるのかなどに思いを馳せる。
元気をくれた巨木に、今度は私の方から元気を注ぎこみ、次の千年へと命を永らえていくのにそっと手を貸すことができればと考えている。
|
.
|
掲載作品に対するご意見、ご感想をお待ちしております。
このページの下部にあるメールボタンを押してお送りください。