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失業は、他人事ではありません。
55才のリストラは、あまりの失望に、寝込んでしまったほどだ。
もう少し早ければ、何んとか道はある。遅かったらあきらめもある。
中途半端の年令に、恨んだりもした。
布団の中にくるまって、モンモンしても道は開けず。
「泣いてる場合じゃない。」と自分にムチ打って、写真と、履歴書を持ち歩く日々が始まった。
右を見ても左を見ても、会社や店はあるある。
手当り、バッタリ当たって砕けろ。
くる日もくる日も職探しだ。
郵便局の早朝パートの仕分作業に、2名に対して、25人の人、人人。
良くも集まったものだ。
それだけ、仕事にありつきたい気持は皆、同じ。
ライバル同士なのだ。
以外と早く仲良くなるわけには、こんな場所が一番情報交換しやすいのと、同じ立場で本音も言える。
面接会場は、いつしか私の気休めの場所となった。
学生やフリーター、その中にチラホラ子育て中の30代は、いたにはいたが、50代の私がいるなんてコッケイ過ぎはしないか。
面接時に座ったとたん「すみません、場違いに来てしまって」とついつい弱音が出てしまった。
情けないやら、悲しいやら・・・。
それでも、私は、今、仕事がほしいのだ。
生活に困るわけではないのに、失業リストラに対して、いてもたってもいられぬほど心の中は病んでいた。
また充実感を求めて、何か起こさずにはいられない気分でいた。
こんな気持、誰にもわかるはずもない。
私は、必死だった。
「イエ、やる気さえあれば、年令には関係ありませんよ」と、言ったところで若さには勝てるはずもない。その通り「やる気」と、心の中では叫んでいた。
大卒、専門枠、外見なんて・・・。といったところで、何の取り得もない私が座っていたりして、コンピュータ入力を武器にしたって、年が邪魔して今じゃ何の役にも立たず、若者が余る時代に、50代の私が何とか、もぐり込むには狭すぎた。
個人企業に、若者が採用されるのを横目に、私は次々と午前1社、午後1社と、かけ持ちハードスケジュールの面接に出かけていた。1週間に1社は面接している計算だ。
そこで、知り合う同じ失業仲間に、エールを送り続けていたわけには、自分自身へのエールでもある。
そうしていなければ、自分に負けて、つぶれそうな気分になる。
誰も、応援なんかしてくれぬ。
だから、自分で、自分を、ホメチャッタリ、叱ったり・・・していた。
デパートの販売パートは、スムーズに採用されるのだが、通勤時間のチャリンコでは、この先長く続かないので、泣く泣く断念せざるを得ず、思うようにいかないものだ。
スーツ姿に、ハイヒール姿もさまになった頃、20社近く面接して、7社採用された。
そのうち3社で仕事をしてみたものの、55才の身では、もはや体力や記憶力はないのです。
自分が、みじめで情けなく大声を出して泣いた。
でも、そのつど「泣いてたまるか」私は打たれるほどに強くなり「自分に、チャレンジ」意地だけに、身をまかせたのです。
大先輩として、会社の風をきっていた私から、新人1年生の小さくなった私がいるのです。
プライドに、くじける自分を、涙でふきふき試練の連続です。
「こんなはずじゃなかったワ」が「こんな事もあるのだ」に少しづつ素直になれる自分。
リストラ、失業が、大きく自分を成長させてくれたような気もする。
40才で、大企業のコンピューターの門をたたいて、泣いて笑って、覚えた仕事も15年。「自分のものにしてやる、泣いてたまるか。」
40才の若き日が、目に浮かぶ。
そして今・・・通勤時間、歩いて5分のクリーニング受付おばさんとして、もうすぐ2年目を迎えようとしている。
この仕事、定年もなく、元気だったら、まだまだ10年は働けると思っている。
私にとって、ハマリ職のうえ、やっと手にした仕事なら簡単に手放すなんてできないのだ。
これからの人生、自分の人生にして、いつまでもチャレンジしてゆくつもりでいる。
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