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料理教室に通い始めて一年半。
今まで何と食生活を、おろそかにしてきたのだろう。
そう実感する日々である。
一年間の基礎コースを終え、目下、上級コースに月三回、はりきって参加している。
年若い講習生に交じって。
お肌つやつや。スタイル抜群。口調軽快。
そんな彼女たちの弾ける若さは、日常生活でたまった灰汁をすくい取ってくれる。
だから「近頃の若い子は」などと、悪態をつかずにすむ。
レシピに『色紙切り』とある。《しきしぎり》と読むべきところだ。
「先生、いろがみ切りってどう切るんですか」
そう質問する新婚さん生徒がいる。
「春菊が、スーパーに売ってなかったからキクナにしてん」
真顔で隣の生徒さんに喋っている二十歳そこそこのお嬢さんがいる。
「これ、ちょっと長いと思いますか?」
料理実施中に、そう訊ねてくる笑顔のかわいい生徒さんがいる。
「それは、ちょっと長いんと違う」
そう答えると、彼女は納得の表情を浮かべる。
続いて、おうどんを一本ずつ並べるように、細くて長い黄色い焼き物を、まな板の上に整列させている。
彼女がチャレンジしていたのは、錦糸卵だった。
それを真剣な眼差しでやっているから、またかわいい。
年齢だけを重ねている側にも、知らないことは多い。
例えば千六本切り。正確な一番だしの取り方。クラブコロッケの作り方。
その他、自分の無知さを思い知るには十分だ。
料理教室を通じて『初めて知る』という喜びに出会った。
食べてもらう人のいる幸せを感じた。
自慢の料理を、おすそわけする楽しみを味わった。
「いくら時間をかけても、まずいものはまずい!」
そう言いきる夫は、食べ物に、人の三倍はうるさい。
まるで料理毒舌家だ。
こうなると、敵に不足はない。
いつの日か、夫に「参った」と言わせてみたい。
日々、そんな闘志を燃やしている。
今の所、料理毒舌家VS自称、料理格闘家の成績は、八対二ぐらいで分が悪い。
料理は、いくらでも手が抜ける。
打ち込めば打ち込むほど、やりがいがある。
がんばれば必ず結果が出る。
好結果はいつまでも人の心に残る。
時に後世、語り継がれるほど・・・。
おいしいものはおいしい。まずいものはまずい。
おいしくてまずいものはない。まずくておいしいものもない。
要は作る側が、食べる側に示す食感覚の思いやりだ。
食べ物センスだ。心意気だ。
でき得る限り、手を抜かず、おいしい料理への挑戦を続けたい。
決戦の日時は毎夕食時。
場所は台所と心得ている。
敵は今のところ家族だ。
結果はその場で出る。おいしいか、まずいか。
問答無用の二つに一つの世界だ。
しかも、この真剣勝負は、家族の健康維持には欠かせない。
アイルランド生まれの、イギリスのノーベル賞劇作家、ジョージ・バーナード・ショーは言っている。
『食べ物をこよなく愛するほど純粋な愛は他にない』
愛も恋も幸せも、健全な『食』なくしては存続しないということか。
料理学校に通うようになって、つくづく思う。
人を好きになるように、日々、食べることをもっと愛そう。
そこには、今まで味わったことのないドラマがあり、感動があると。
嘘だと思う人は、ぜひ確かめてほしい。
「うわぁ、おいしい!」
自分の作った料理に、思わず家族がそうもらした時、どれほど邪気のない幸せに包まれることか・・・。
物欲が満たされた時の喜びなど比ではない。それでも、
『太ったブタになるより、痩せたソクラテスになれ』
こちらの方が、人生におけるスタンスだという人は、ぜひバーナード・ショー流に解釈してほしい。
最低一日一回、純粋な愛の確認のために、日々、食べることを、もっと愛そうと。
そこには一味違う幸せがある。
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