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路地裏の発見
大平 真弥

この頃、どうも太った。

いわゆる、基礎代謝というのが落ちてしまっているのだろう。
何となく冷える。まめに動くのが億劫になって来る。
体にも、そして心にも、余分な脂肪や老廃物のたまりやすい状態になっている。

年齢のせいだけではない。
普段の買い物は、いつも車か自転車だ。

食べ盛りの男の子三人に食べさせるために、大量に素早く食料を運搬できるこういった便利な道具に、つい頼ってしまうのだ。

運動不足。
この四文字が、私の頭の中を、極大、極太のフォントで飛び回った。
しかし分かってはいても、怠惰な生活習慣は一旦身についてしまうと、修正するのはそうたやすいものではない。

何かきっかけがいる。
そう思っていたら、いつもはポストに入っていても何気なく捨ててしまうチラシの文字が目に入った。不動産屋さんのチラシ配りの仕事を募る広告である。

試しに電話をかけて聞いて見ると、好きな時に近所のポストにチラシを入れるだけの仕事である。
案の定、賃金は安い。労働基準法ぎりぎりといったところだ。

しかし、何しろ気楽にできそうだ。
それに、一応仕事と思えば、嫌でも歩かざるを得なくなる。

ちょうど子どもの教育費にお金がかかる年代で、エステだのダンス教室だのには通いたくても通えない私のような主婦には、賃金以上のメリットがある。

早速、履歴書を書き、契約を結び、仕事を始めることにした。

チラシというのは、要らない人にとっては、時に煩わしい物である場合もある。
配り始めて見ると、近所の人と顔を合わせて何となく気まずい思いをしたこともあった。

また、寝る前にひと仕事と思って夜配っていたら、犬に吼えられてびっくりしたこともあった。

こんな、すぐにも捨てられてしまいそうなチラシも、こうして一枚一枚、配る人が居たんだなあ。
そう実感しながらも、最初の内、私は何となく下を向いて、チラシを配っていた。

けれども、少し続けるうちに、歩くことによる効用というものが、考えていた以上に大きいことに気づき始めた。

担当の区域の、一戸建ての家をくまなく回るために、普段は入ったこともないような小さい路地に入って行くことがある。

するとその奥の小高い所に、多分、戦後の頃に建てられた、文化住宅とでもいうのであろう、こぢんまりした、急勾配の屋根の洒落た家が、廃屋になっていたりする。
木の門扉のむこうには、楽しげな形の、錆びた鉄のアーチがある。

ここに人が住んでいた頃には、きっとあのアーチに赤や黄色のバラがからまり、子供の笑い声が響いていたり、娘さんがお嫁に行ったり、あるいは人が亡くなったりもしたこともあったのであろう。

大きな家、小さな家。
裕福そうな家。質素な家。

老夫婦が力を合わせて一心に庭の手入れをしている。
庭先に可愛らしい三輪車が乗り捨ててあったりする。

それぞれ、どの家にも、人の暮らしや、人生がある。
そういえば、子どもたちが小さいころには、毎日手をつないで、一緒にお散歩したものだっけ。

一人で歩いていると絶対に入って行かないような路地に、子どもに引っ張られて入って行ったりもした。

あのころにはこれが早く終わり、自分の時間が持てるようになれば、と思ったこともあったけれど、考えてみると、あんなに豊かな時間はなかったんだと思う。

幼い子どもの発見の一つ一つが、私にとっても、素敵な発見であり、喜びでもあった。
ところで、今はどうなのだろう。日々の心配ごとを数限りないほど抱えた、四十路を過ぎてしまった私は、あの頃よりも不幸なのだろうか。

否定的な考えが、頭をもたげかけて来る。
けれども、歩いている私は、元気である。
地面を踏みしめる足の裏から、活力が体中にみなぎって来るのだ。

きっと、生きてこんな風に心配をしたりしている、ということ自体が、実はとんでもなく幸せなことなのだ、と、すぐに思い返した。

それに第一、二本の足で歩き回り、色々な空想を巡らすことが出来るではないか。

何年も経って振り返れば、今は苦労だ、困難だ、と思っている沢山のことは、時の流れに洗い流されて、そこにそんな私と家族が生きていた、という証になってくれているに違いない。
あの路地の奥の廃屋のように・・・。

これって、すごい発見!とか思いながら、チラシをある家のポストに入れようとすると、玄関を開けて、お婆さんが出て来られた。

少しドキドキしながら、
「チラシです。宜しくお願いします」と、ポストに入れたら、
「ご苦労さん」と言ってくださった。

                         

(神奈川県発信)

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