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私の擦る大根おろしは甘い。勢いなくゆっくり擦ると、甘くなるらしい。
久々に実家に帰って大根を擦っていて気がついた。全然擦れない。
原因はおろし金だ。使い古されたため、刃が沈んでしまっている。
「お母さん、おろし金くらい買いなよ。受け皿割れてるし。全然擦れないよ、これじゃ。」
元が銀色なのか金色なのかもわからない、まだらのおろし金。最近プラスチックの受け皿が欠けてしまったが、いまだに現役で働いている。母の指を何度おろしたことだろう。
「捨てるに捨てれんよ。お父さんが独身時代から使ってるやつだから。」
陶製のおろし器を出してきた母が言った。
独身時代から・・・もう30年ってこと!? 私は絶句してしまった。
「それだけじゃないよ。オレンジのザルとボールもお父さんのだし、包丁も洗い桶も。その分、食器はすぐ割るから回転早いけどね。」
母はのんきに笑った。
この家を建てて、団地から引っ越してきたのが12年前。この使い捨て時代に、たいして思い入れもない日用品を旧家から持ち込むのも、考えてみればすごいことだ。
タンスなどの大物なら話は分かるが、本当に細かなものが、実はかなり年季が入っているのだ。
犬のベットに敷かれた父の毛布、今は庭で使われているピンクの洗面器、いざ使おうとすると書けないペンだらけの筆立て、小銭を入れている黒あめの缶、お風呂をかき混ぜる棒、ナイフやフォーク、花瓶・・・。
そう言えば物心つく前からすでにあった。母の着ているカーディガンは、私が小学校のころ着てたものだ。
年季が入って価値が上がるものはひとつもなさそうだ。それらひとつひとつに、何か思い出があるわけでもなく、ただ使い続けてきただけのものたち。
そのモノたちを使っていた昔と現在が、境目なく結び付く。
それは、ある思い出がよみがえるタイムスリップとは違って、私の25年の日常が見渡せるような感覚だ。
ひと言では決して言えない、今の私ができあがるまでの歴史。
私は引っ越しを4度経験したが、そのたびに今度はこんな部屋にしようと企て、4度とも失敗した。ガラリとイメージチェンジしたくても、同じモノから作られる部屋は、結局同じような部屋になってしまう。
いざ買い替えようとしても、愛着とお金の無さから、なかなか踏ん切りがつかない。ただ衝動買いはたまにしてしまうので、実家のように買い足したものが溢れていく一方だ。
「結婚したら、今ある家具や小物は処分して、全部新しいものを揃えてやるんだから。」そんな野望も、きっと崩れ去るんだろうけれど。
『モノもちが良すぎる』そんな血が私にも流れていることを、実はそれほど嫌だとは思わなかったりする。
当り前の顔でそこにいる、愛着すら持ってもらえないモノたち。
けれど時々心にやわらかい刺激を与えて、がんばって存在感をアピールしているらしい。
「私なんだなぁ。」
平らになったおろし金で大根を擦りながら、私の持ち物の中で一番歴史が古いものは何だろうかと考えた。
この季節の大根は、私が擦ってもピリっと辛かった。
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