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よほど体調が悪くて動けないとか、台風で突風が吹き荒れて外に出られないとか、大雪が降って道がなくなったということでもない限り、私は毎日自転車に乗っている。
買い物や銀行や図書館に行くときはもちろん、電車でないと通えないところ以外は、通勤も自転車を使うことが多い。以前勤めていたところは自転車で片道1時間ほどのところだったが、雨の日も風の日も自転車で通った。
駐輪場を探すのが面倒だし、駅の階段の上り下りや、満員電車のことを考えると、多少体が疲れても自転車のほうが楽である。もちろん、定期代はちゃんともらうので、ちょっとした副収入になって一石二鳥というわけである。
用事がないときも自転車に乗ることがよくある。風に吹かれながら自転車のペダルを踏んでいると、気分が晴れ晴れとして、心が自由になっていくような気がする。
木立や色とりどりの花の咲き乱れる町並みなど、自然のうつろいを感じながら走るのも楽しいが、車の行き交う雑踏の中を走っているときも、それなりに楽しい気分で走っていることが多い。
楽しいというよりも、無心で走っているというのだろうか。
自転車に乗っていると、次々に景色が変わる。目に触れるものが変化していくということが、自転車に乗る楽しみの一つかもしれない。
同じ道を走っても、その日の天候や出会う人や季節のうつりかわりが、昨日とちがう景色を見せてくれる。
若い頃、よく旅をしていたので、そのときの習性が身についてしまっているのか、一箇所にじっとしているのが苦痛である。家庭をもっているとふらりと旅に出るということがなかなかできにくいので、自転車で小さな旅を楽しんでいるのかもしれない。
旅をしていたとき列車の窓から飽きもせず外の景色を眺めていたように、自転車を漕ぎながら目の前に現れては消えていく景色を見ている。
次になにが出てくるのかわからないというのは、スリルがあって面白い。
なんとなくワクワクするような、心が弾む感じがある。
それと、風を切って走るときのあの爽やかな心地よさは、何者にも勝る、自転車を乗るときの醍醐味である。
もっとも、実際は見ているようでなにも見ていないこともよくある。そういう時はたいてい何か心に屈託を抱え、解決のつかないことをあれこれ思い悩んでいる。
ペダルを漕ぎながら、自分の心の中に向かって走っているような気がするときもある。知らず独り言を言ったり、ため息を吐いて、思わず苦笑したりする。
考えてみると、用事のないときに自転車に乗るのは、なにか考えごとをしたいときや、心に鬱屈を抱えているときが多いような気がする。
どこに行くというあてもなく、街中や住宅街を走っているうちに、なんとなく考えがまとまったり、新しいことを思いついたり、心の鬱屈がなくなったりする。
風に吹かれながら自転車を漕いでいると、心が果てしなく解放されて、このまま地の果てまでも行けるような気がしてくる。ペダルを漕いでいる間だけは、自分は自由で、なにものにもとらわれない心の自由があるような気がしてくるのである。
桜が散っていくのを見るたびに、あと何回この季節が自分には巡ってくるのだろう、と思ったのも、自転車を走らせているときだった。アルファルトの地面を覆っている枯葉を踏んで走りながら、胸が締めつけられるような思いをしたのも、自転車に乗っているときである。
思えば、私は自転車の上で季節を感じ、生きることの意味を考え、心の鬱屈を解放し、元気をもらってきたような気がする。
今乗っている自転車は、10年ほど前に流行った、ハンドルがトンボの形をしたものである。軽くて乗り心地がいいが、もう何回もタイヤを取り替え、買い物カゴは錆びて底が外れかかっている。
停めるところが不安定なので、自転車置き場などに停めておくと、しょっちゅう倒れている。あっちこっちキズがあり、泥除けもデコボコである。
私と同じように、年をとって下取りにも出せないような代物であるが、長年乗ってきたこの自転車に私は愛着を感じている。
私を励まし、元気づけてくれる人生の相棒のようなこの自転車を、私はこれからも乗り続けていきたと思っている。
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