■
私はいま、84歳という高齢を迎えたとは自分でも信じられないほどに、心身健康のありがたさを感じている。
ど忘れすることは度々あっても。
私は、いまでは悪夢とも言うべき、あの戦争に召集で駆り出され、自動車部隊に入隊させられた。大東亜戦争ぼっ発の翌年には、中国大陸へ派遣された。
作戦発動され、その出発のため待機中、突如として米軍機群の来襲あり、激しい銃爆撃も何とか避けることができた。
草木のほとんどない大陸の平原を1日、約30〜40キロの行軍、飲む水も食糧も乏しく、まさに元気のない長い日々。生と死の隙間を何度もくぐり抜け、負傷も病気もせず奇跡的に無事、終戦の翌年春、内地に帰還できた。
戦後、商社に復職、厳しい国内取引だけでなく、国際ビジネスにも生き抜くことができた。これも戦争という苦難を乗り越えてこられた元気のお陰であろう。
ジェット機の未だなかった時代から、航空機での移動に、自ら思い鞄を提げての苦労も、若さと意欲に支えられた元気の賜によるものと信じている。海外約30ヶ国を歴訪した。
後年、商社では役員待遇となり、関連会社2社の経営に係わってきた。そのあと、人脈のお陰で第3の人生として、都内は本郷にある会社の常任顧問を約8年間務め、約3年前に退任した。
このあとも、“毎日が日曜日”的生活は性に合わず、生き甲斐のある日々を送っている。本をよく読み、年間70〜80冊程、購入する本もあるが、図書館からの貸出しも。読んで楽しく、また学び教えられることもかなりありアタマの活性化にもなり、アタマも元気である。
いまも週に1〜2回は都内へ出かけ、銀座・日本橋・渋谷・上野など、デパートや画廊で、風景画を観るのも楽しい。時には、都内のあちこちにある美術館へも。
また時には、コンサートに出かけ、生のクラシック音楽の風情と、趣のある雰囲気のよさに浸る。
我が家で、FMやCD・レコードなどで音楽を聴くのもよいが。絵や音楽などを鑑賞し、楽しみながら感性の世界に浸るのも、別のアタマの活性化になりそうである。
平素、自分の足で、よく歩くことに努めている。都内などへ出かけ、電車に乗り降りするのに、駅のエスカレーターも歩いてのぼり、階段を2段ずつ上がったりする。
週末には、自分一人でも、首都圏近郊の低山歩きに出かける。
目的地の駅を出ると、同じ方向に歩き出す人がかなりいて、中には声をかけてくれるのもおり、同行者が得られるのは心強い。週日―水・木曜など―では、ハイカーが少ないので、土曜が一番よい。
ハイキングには、首都圏私鉄の沿線ハイキング資料や、JRの資料が随分役に立つ。これらと地図、万一の場合を考え、リュックに懐中電灯・呼び笛など食糧・飲料・雨具・折畳みステッキなど詰めてゆくのも便利である。
山道を登る厳しさはあっても、やっとたどり着いた山の頂上などで昼食を摂ることも多く、すばらしい風景を眺められるよさは格別、写真やスケッチにもよい。
森の中の道を歩き、フィトンチッドをいっぱい吸っての森林浴のさわやかさ、すがすがしさは、やはりすばらしい。少し若返ったような気分になり、元気も出そうである。
このごろでは、ハイキングに出かけることは少なくなったが。住まいの近くに多い、緑豊かな丘や森などの道を歩き、自然に親しく接するよさは格別である。野鳥の鳴き声を聴き、季節それぞれの草花や樹木の姿に接することにより、また明日からの元気が出そうな気分になる。
これまで商用の出張で訪れた海外とは別に、私的に家族らと訪れたヨーロッパ各国への旅は印象的なすばらしさがあった。国内の各地へも家族旅行は楽しい思い出がいろいろ。これもみんなが元気のおかげであるからと感謝したくなる。
長年、ビジネス社会を生きてきて、人とのふれあいの大切さをしみじみと感ずる。年賀状なども忘れずに。また会社や学校のOB会に出席するのも、対人交流の大切さのためである。人との出会いは、またいろいろの意味で、元気を与えてくれるのは、ありがたいことです。
これからも、いつまでも元気でいられるよう頑張りたいと願いつつ。
|
■
|
掲載作品に対するご意見、ご感想をお待ちしております。
このページの下部にあるメールボタンを押してお送りください。