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夫が麦茶を沸かして洗い桶で冷やしてくれていたので、冷蔵庫に入れられるようペットボトルに移した。ヤカンにいっぱい沸かすと、ちょうどペットボトルを満たせる。夫が沸かすと量が控えめだ。
沸かすも冷やすも時間が変わらないのだから、いっぱい沸かせばよいのに。体育館へ卓球をしに行くとき、夫はコクッコクッコクッと音をたてながら大きな魔法瓶にたっぷり注いでいるのに、と思う。
私はなにごとによらず、めいっぱいが好きだ。
酷暑と言えるほど暑いこの夏、私は毎日めいっぱい麦茶を沸かした。
暑い暑い台所で、夏バテに負けないようめいっぱい料理を作った。てんぷらをしても、冷蔵庫の中の材料を次々に取り出しては揚げていく。「こんなに沢山、だれが食うねん?」と夫が言うほどに。
私たち夫婦は、どちらも平均体重を大幅に上廻っている。減量のよい機会になるはずの暑い夏を、好きな献立を工夫して食欲旺盛を誇っていた。
私たちは長女親子と同居している。
孫は小学6年生、成長著しい時期である。いろいろ工夫して孫の気に入りの料理を作っている。唐揚げ、グラタン、白身魚のホイール蒸しなどめいっぱい。
私は「歌体操」という一種の健康体操を指導している。いつまでも健康でいようと呼びかけ、市内各所で自立している高齢者を対象に、ボランティアとして活動している。
心の持ち方でいきいきと体を動かすことができる。
定期的に会場に足を運ぶことで、仲間づくりができる。楽しい歌体操会場にするために、ここでもめいっぱい頑張っている。
老人施設でも、歌を歌い手指を動かし、障害のある人でもできる軽い体操をしている。子どものころ歌った童謡や小学唱歌、若いころ口ずさんだ流行歌は年をとっても覚えているもので、施設でも元気な歌声が聞ける。彼らの喜びや元気をもらって、私も毎日のように歌体操をしている。
家では模造紙をひろげて、墨で歌詞を書いている。字を書くのが苦手な私だが、やればできるものだ。歌を口ずさみながら書く。
私なりのイメージでイラストを入れる。移りゆく季節にしたがって歌詞を書くと「ああ、こんな歌があったなあ」と昔を思い出す。
施設では歌いながら涙を流す人もいる。この活動を始めて、歌がどんなに人の心と結びついているかを知った。歌って活気が出てきたら深呼吸をする。
「鼻からふか〜く息を吸い込んで、口を小さく開けてほそ〜く、なが〜く吐き出してください」手や腕、肩などを順に動かしてみる。手を上げたり下げたりの単純な動作も、歌いながらだと楽しくやれる。
三拍子・四拍子とリズムに合わせて、手を打ち膝をたたく。「肩を上げたり下げたりしましょう。はい、上げたり下げたり」後半は歌っている。
「今度は指先で頭全体を軽くたたきましょう。ランランランラン。次は膝をたたいてください。トントントン」「今度は両手を上に上げましょう。上がりにくい方の手は、もう片方の手を添えて上げてみましょう」。
手がたくさん上がっているとうれしくなる。歌うことの楽しさ、歌に合わせ体のどこかを動かす喜びが伝わってくる。それこそが私の喜びである。
後片付けが終わって帰る際、だれかれなしに「さようなら。また来ますね」「お元気でね」と挨拶する。高齢者は律儀に挨拶を返す。「ありがとう」とか、「また来てちょうだい」を連発する。この人たちの気持ちを受けて、こちらも元気でいるのだと痛感する。
先日、ある知的障害者の施設を見学した。そこは義務教育を終えた青少年たちの教育施設である。会場には20名余りが集まった。ボランティア仲間の何人かが、ここで「歌体操」を指導している。
歌を歌い出すと思い思いの音程とリズムで歌うので、まるで不協和音の爆発だ。何曲か歌うとしだいに音程が定まってくる。いつもの体操だろう、次々と矢継ぎ早に体操をつづけてゆく。それがその会場での定着したパターンらしい。
最後に、ヨーグルトの空瓶になにやら粒状の物を入れてマラカスの代わりにジャラジャラ鳴らしながらリズム打ちをする。
軽快なリズムに合わせて空瓶を床に打ちつける音と動きに快感があるようだ。何をしても、若い彼らのエネルギーがはじけるようだった。
めいっぱい体を動かすことの喜び。ボランティアとの体のふれあい。体でしか伝えることができないものがあるのだ。
歌体操とは、なんて素晴らしい活動だろうと改めて感じた。
自分がこのグループの一員であることを誇りに、これからもめいっぱい歌体操活動に精を出そうと決心するのだった。
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