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元気が一番、年がゆくにつれつくづくそう思う。定期的に医院に通っているが、大勢の患者で待ち時間が大変、2時間、3時間となる。半日仕事である。帰りにスーパーに寄って帰れば一日仕事になる。
高齢化した今、病院も医院もよくまあこんなに身体の悪い人がいるなあと思える人盛りである。この人盛りの老人同志に話の花が咲いて、弾む話でちょうど社交場のようでもある。
今年で喜寿となる私であるが、元気と言えば元気。医院の先生は今のところ心配はないですよ、と言ってくれる。
自分では年齢には勝てない不気味さを意識するようになったが、新聞報道では、男79才女83才が平均的寿命とやらである。されば2年で平均年齢に達する故に一人前の年になる。
悪く取れば後2年、良くとればまだ2年もある。
さらにラッキーに80を越せば儲けものであるとの侘びしい計算をする考えが本当の思いである。
妻は5歳年下で月2回一緒に医者通いをしている。ありがたいことに1回850円で薬代は要らない良き時代、良き日本だが、デフレとやらで老人の医療負担が重くなるようだ。が、贅沢な暮らしを望まない限り何と言うことはなく、何とかやって行ける。とにもかくにも、元気が一番が人間の幸せである。
ちょっと風邪気味になると煙草が味ない、酒も美味しくない、ごはんもおかずも美味しいとは感じられなくなる。咳が出る、痰がからむ、鼻水が出て憂鬱そのものである。
ちょっとの風邪気味でも、こんな苦痛が襲ってくるくらいだから、私より悪そうな人は気の毒に思える。
腰は、くの字やコの字、禿頭白髪で細い老人、リハビリをしている老人、杖にしがみついてヨボヨボ歩きの老人、点滴をうけている老人、大きな器械で精密検査を受けている人と様々な人間の縮図が、病院や医院では日常茶飯事の毎日である。皆元気になりたい、元気を取り戻したい思いで一所懸命である。
元気な時は、病気など別の世界、他人事、絵空事だが、いざ病気になると、元気な自分が悪しくなってくる。人間は勝手気ままなものだが、今、金をとるか、元気をとるかの瀬戸際だと私は元気を取るだろうと思える。
元気はやはり金で買えるものではない。
百貨店でも、スーパーでも売っているものではない。いくら札束を積んでも買えないもの、それが元気である。
朝、夫婦で話し合いながら歩いている光景をよく見かける。歩くのが一番の健康法だと聞いて、私もつとめて歩くことにしている。
お墓参りはかなりの距離だが、バケツを持って夫婦で歩いて行く。
帰りは長靴がちょっと重い感じがするが、帰って飲むお茶がまた格別に美味である。自動車はもちろん、自転車にも乗らない。
スーパーはちょっと遠いが必ず夫婦で歩いて行く。
買い物は、やはり男の私が運び屋になる。
年金生活の夫婦、何一つ買うにしても、あれこれより安くより良い物と、時間もかかるが楽しい時間帯でもある。
スーパーの中にあるレストランで1本のビールを夫婦で分け合いながら飲む。好きな食事を取って話し合いながらの定まったパターンだが、何となく幸を感じるひとときである。
町内会の旅行もなるべく参加するようにしている。これ皆元気なればこそできること。
元気があれば食事も美味い、旅行も楽しい、酒も美味い、歩くのも散歩感覚で洒落て楽しい。
まして苦労をともにして乗り越えてきた夫婦。苦労話やら、子や孫のことを話し合いながら、分け合いながらの食事には至高の味が滲み出てくる。
孫とお子様ランチをつつきながら一緒に食べるのも、この世の至高の味である。
“孫と食うお子様ランチ美味かりき”
下手な一句だがそんな感慨が湧いてくる。
元気という漢字はたったの二文字だが、大きな意味が見えてくる。
人間の幸の根源であり、人生の何もかもを10倍にも20倍にもしてくれる一番ありがたい天使でもある。
子どもができる。孫ができる。
孫の玉のような丸い小さな手を握って、つないで歩く幸せも元気があればこそである。
健康が一番の宝、元気が何よりの宝である。
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