大和撫子待望論
杉崎 嘉世子

「オンナ」「おんな」「をんな」「女」。
女というひとことを表すだけでも、4通りもの書き方がある。日本語は正に素晴らしい。

じっと見ていると、それぞれの文字からさまざまな「女」が、イメージされてくる。
「お」と「を」が違うだけで、イメージ上に浮かんでくる「女」の姿は違うのである。

今や「女の時代」と言われる。
子供も女児が生まれれば、心の底から「おめでとう!!」と言ってもらえるが、男児であると残念ながら心の底からの「おめでとう」は言ってもらえないようだ。

結婚しても子どもを持たない人たちが多い。「女の子が100%確実に生まれるという保証があるのなら産みたいけれど、まだ、そこまで・・・男の子ならいらないから・・・」と、言う人たちである。

周囲を見回す。なるほど、おねえさま、お母様、オバサマたちが元気いっぱいに張り切っている。生き生きとしている。

それに比べて、おにいさま、お父様、オジサマたちはどうだ。
皆、元気なく、うらぶれて、しかめっ面をして、肩をすぼめて頼りなく歩いている。
これでは「男」じゃないぞ!!と叫びたい。
ああ、昔、男は男らしかった。

しかし、その前に、女が女らしかったのだ。
「ヤマトナデシコ」だったのだ。
「イギリスの家に住み、フランス料理を食べ、日本女性を妻に迎えること」
これが昔の世界中の男のユメであったのだ。

それほどヤマトナデシコの価値は高かったのである。
いつの場合も例外はあるけれども・・・

戦後、半世紀以上の時間が流れ去った今。
あの頃に戻れないのは当然である。
世の中すべてが、進歩もし変化してしまったのだから。

清少納言が今の日本の女たちを見たら何と書くのだろうかなと思う。
「くちおしきもの」九十四段。
「見苦しきもの」百五段。

この二つの段にわたって書くのであろう。
「猛々しき女たち、いと、けしからず……」
「荒々しき言葉もちたるこそ、見苦しかし」

女の子たちの言葉づかいの悪さはどうだろう。聞くに堪えぬ。
「朝メシ、食って来たかよう?」
「食って来たよう。大丈夫だよう」
言葉の乱れが、すべてを乱しているのだ。

たしかに「朝メシ」でもあり「食(た)べる」を「食(く)う」とも言うが、女は昔からメシとか食(く)うなどとは決して言わなかった。

顔を見れば、ごく普通の女高生である。「オマエ」呼ばわりをし、ひどいときは「オメエ」などと言う。

人間だけが持っているコトバ。その威力をもっともっと私たち大人が認識して、若い世代を啓蒙していかなければならないのではないか。

夫婦、親子の間で、朝起きたとき、
「おはようございます」
「おはよう!!」
と、挨拶し合っているだろうか。
ただ何となく、照れ臭くて、むっつりしているのではないだろうか。

出かけるとき、帰宅したとき、夜、ねるとき、いくらでも声をかけあうチャンスはある。

特に女性から男性に対して優しくしたいものである。
世の中が悪い悪いという。
しかし、世の中の半分は女性である。その女性が変われば、世の中も変わると考えてよいのではないか。

おにいさまたちは、何となく無気力で弱々しい。無目的な顔付きである。
お父様たちは、超満員電車に乗ってみれば分かるとおり、くたびれ切って疲れ切っている。

魚の干物のように口を開けて眠りこけているではないか。やつれた面差しで。
(上役、下役、ご同役、老親、元気印女房、不良がかった子どもたち、リストラ)かわいそうである。

オジさまたち。定年になってヤレヤレと思ったのも束の間。元気印女房からは邪魔にされ、することもなく、行くところもなく、心身ともに持て余しているのだ。気の毒である。

「外柔内剛」で行こう!!日本の女性たち!!

まずは、言葉から。挨拶から。夫、息子、娘たちにまず、優しい言葉をかけてみよう!! 心に染みわたる挨拶を繰り返してみよう!!

きっと、男性たちに元気がよみがえってくる!!
そして、世の中が変わる!!変わる!!

平成の世の「ヤマトナデシコ」は、昔と違う。
もっと主体性を持った独立型の花である。

女は「花」 男は「蝶」。
元気の良い蝶々になって花を訪れてほしいと、切に希(ねが)うものである。

                         

(東京都発信)

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