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ボクは今年73才。東京生活50年を卒業し、ふるさと山口へ帰ってきて丸3年を迎えた。目的は、憧れの里山暮らしを実行するためだ。それが、ついに叶った。
小郡町郊外の桂谷集落を行き詰めたところに、仲間たちと力を合わせ、このほど2階建てのログハウスを完成させたのだ。
ボクと懇意にしている地元の高校、実はボクはこの高校の第1期生なのであるが、そこの理事長が、先祖から伝わる杉林の一角、5000坪の土地を無償で提供してくれ、約1000本余りの杉の丸太を自ら伐採し、供出してくれたのだ。
ボクは東京で小さな印刷、出版会社を経営し、季節ごとのエッセイ集の雑誌発行を23年も続けてきた。
その雑誌は、地味ながらもエッセイの全国誌で、各地に執筆者、愛読者がいたので、ボクは、この里山づくりの拠点ともなるログハウス造りをよびかけ、それで全国から賛同者がかけつけて応援してくれたのである。
しかし何分にも資金不足、労力不足で、完成まで実に5年も費やした。その間のボランティアの人々、延べ動員数は約500人、総工費1,000万円という、当初の計画をはるかに上回る規模となってしまった。
ボクはもともと、山口県の美和町の出身で、幼い頃はハダシで里山を駆け巡った元気少年であった。山での力仕事も、薪割りもお手のものであった。しかし、さすがのボクも70代、若い時と同じとはいかない。
でも、ボクの毎日はまず、5時半起床。
番犬ログとの散歩。朝食の準備。部屋の片付、清掃、玄関まわりはガンゼキなどで特にきれいにする。
早朝からポツリポツリと、訪問客が来る。
お客の対応、特に要望があれば、ログハウスの背後に立つ禅定寺山(標高400m)への山登りの案内をする。
テレビ局が時々取材に来るが、そんなときのボクは、一層はりきってしまう。
ログも一緒になってハッスルする。
雑木林の中の、大人はなかなか昇ることができない高い樹の上の秘密基地からつるしたロープを、スルスルと昇ってやる。
「オオーッ。」と、歓声が上がる。
テレビ局のカメラもまわる。
なおのこと、ボクは元気がモリモリと出て、痛快きわまりない。
「とても70代の人とは思えませんねェ。若いですねェ」
と、大ゲサに誉めている声が聞こえてくる。
誉められると気分がいい。自分が若く見られていることで喜びが増し、プライドもふくれる。
ボクは思う。今の60代、70代の大半は、クロッケーだの、ゲートボールだのと、なんの障害もない広っぱに群れては、やれ勝った負けたと騒いでいるが、森の中にいっぺんでも来てみたらどうだろうか!と憂える。
楽しみを取り上げるつもりは毛頭ないが、まだパワーがあるのに、惜しいなあ、木の1本でも切ったり運んだりしてくれたら助かるのになあ、とついつい思ってしまうのである。
ボクの生活の続きを言おう。
昼は、簡単な昼食をして、昼寝をする。
間もなく、午後は渓流の手入れ作業だ。流れをせきとめ、鯉を飼っていたが、先だっての大雨で、大水が出て流され、一匹もいなくなった。土砂も山盛りである。スコップを持って川に入り、汗だくの作業である。しかし爽快だ。
次に、雑木林の中に入って、炭焼きの材料づくりにがんばっている。これだけではない。
ボクの里山での、最大の夢である“水車小屋 ”作りの、青写真作りもある。
ここでの夢が大小合わせて、30くらいあったが、すでに5つは実現した。
心に強く念じておれば、必ず達成するものだ。ふしぎ体験の連続である。
ひんぱんにこの里地を訪れてくる人への説明は、けっこう疲れる。ここが杉の皮むき道場、ここが薪割り道場とかいって、訪れる人の関心を引くようにして、一緒に楽しみ、作業を共有するよう仕向けるのもボクの仕事である。
ひとりで、何もかもやっては、非常に疲れるし、それではつまらないからだ。より多くの仲間とふれあい、力を合わせ、時には意見の食い違いから討論にもなるが、それもやむをえず、とにかく全身全霊でぶつかることが、ボクの信条である。
森はいい。その中に入って、青くすんだ空を見上げながら深呼吸すると、全身の細胞がおいしい空気で若々しくよみがえる。実際、森の中には、今注目されているマイナスイオン、フィトンチッドがみなぎっている。
ボクのストレスといえば、たくさん人が来ることから、その時間のやりくりに神経をつかうことぐらいだろうか。しかし、それもありがたい。
ボクの夢はこの森の “仙人 ”といわれるくらいまで元気で長生きして、里山蘇生に一生を捧げ尽くすことである。
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