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昭和20年8月15日、わが国は歴史上、未だかつてない敗戦という屈辱を受け戦争は終った。10月末に復員した私は入隊前に勤務していた会社に復職することができた。
そして日本復興のため仕事に励んでいたが、なぜか元気がでなかった。それは敗戦のショックもあるが、自分自身がこれからの人生をどう生きたらよいか迷っていた。20歳という人生の節目の年齢。そこで人生に関する本も読んだ。友人とも話し合ったが結論はでなかった。
思い余って父に相談した。
「文典ぐらいの年齢になると、人生についていろいろ迷うものだよ。特に戦争に負けたからな。でも人生の目的、これからお前が生きてゆくには、まず人間らしく人の道を歩むことだ。それには毎日を悔いのないようにすることだ。そこで私は日記を書くことを奨めるよ。日記を書けば1日が反省できるし、反省により人としての進歩がある。だから日記を始めなさい」
この父の言葉に目の前の暗雲が吹き飛ぶような気がし、元気がでてくるのを覚えた。
「お父さん、ありがとう。日記を書くことにするよ」
私は答えた。
ときに12月末であったので、翌21年元旦から始めることにした。日記帳は市販のものでなくノートを使用することにした。理由は字数に関係なく、自由に書けるからである。
日記は1ヶ月、3ヶ月、半年と続く。よく日記というものは三日坊主になりやすいと言われるが、私は書くことが好きであり書いていると元気がでるので、三日坊主という言葉はどこ吹く風であった。
3年目に入ったとき、
「文典はえらいなあ。日記がいつまで続くか楽しみにしているよ」
父は褒めてくれた。これが私にとってどれほど励みになり元気がでたことか。実に嬉しかった。
また年末になると、1年の締め括りとしてその年の主な出来ごとを別ノートに転記した。そうすることにより、いろいろ参考になることが多い。
そして昭和26年12月に結婚、28年4月に息子が生れた。このような喜びを日記に書いていると、一層元気がでる。ペンもよく走る。
47年10月に母が、49年5月に父が相次いで亡くなったときは、大きな悲しみであったが日記を書くことにより救われる思いがした。これを乗り越えることができたのも日記のおかげである。
それから息子の結婚、孫の誕生のときは喜びと元気のペンが日記帳を走った。しかし定年後は闘病生活が中心となった。58年7月の大腸がん、60年10月の前立腺肥大、平成9年5月のヘルニア、10月のヘルニア、12年1月、13年1月の眼病でそれぞれ入院し手術をした。
入院中は手帳にメモし、退院してからメモとを参考にして日記を書いた。
退院したら日記を書けると思うと、闘病中も元気がでてきたのである。
こうして日記帳が増えてゆくにつれて、私たちの結婚生活も昭和13年12月に金婚式を迎えることができた。金婚式の祝いのときには、孫からのプレゼントがあった。嬉しかった。孫の優しさと成長が・・・。
こんなときの日記は元気そのものである。
日記帳は本棚に置いてあるが、昔のものは紙の色も変ってきている。年の積み重ねを感じる今日このごろであり、これを読めば人間としての進歩の跡がよく分かる。
今年で日記を書き始めて57年、よくも続いたと感心している。これからも死ぬまで続くと確信している。日記!万歳であり、日記は元気の源である。
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