自力で更生
白戸 五十八

電話をしていて、突然ろれつが回っていないことに気がついた。
何か重大な病気の予感がしたのだが、何の病気か見当がつかない。

私はテニススクールを開いていて、当日は日曜日。レッスン生が続々とつめかけて来ているところだった。生徒の中に看護婦が1人いて、私の話しぶりを聞きとがめて、すぐに119番をしてくれた。

救急車で運ばれて2時間後にCTを撮った。ベッドごと運ばれてきた私と、急を聞いてかけつけてきた家内に、担当医はCTを見ながら宣告をした。

「この状態から更に悪化することはあっても、良くなることはあり得ない」
この時、私の右半身は完全に動きを停めていたので、医師の説明を聞くまでもなく、脳梗塞であることはわかっていたが、いきなり死の宣告に近いことをいわれて、私は腹が立った。

重症の脳梗塞で倒れた友人を2人知っていたが、後遺症は残ったものの、今は元気でいる。彼らは倒れて2、3週間も意識不明の状態が続いたのに対して、私は意識だけでなく頭は平常と変わらずに働いていたから、死ぬことなど考えられなかった。

「脳幹部に達している恐れがあるので」という医師の言葉に、そういうこともあるのかな・・・ぐらいの気持で半分は死を受け容れていた。一旦は死を覚悟したが、2日経っても3日経っても、病状が悪化する気配もなく食欲はあり、動かない右半身も痛痒・温冷の感覚ははっきりしていて、口もゆっくりしゃべる分には充分に会話ができたので、死を意識する必要はなかった。

10日程経って、MRIを撮って脳幹部には達していないことが判明した。
「脳幹部に達していたら、自分の足で歩いて救急車に乗ることなどできるわけがない」と親戚の医者が電話で言っていた、と家内から聞かされていたので、平静に受け止めたが担当医に対する不信感が募った。

10日目位からリハビリが始まった。担当の理学療法士はピクリとも動かない右手は「後回しにして、動き出しそうな右足の方を優先的にやりましょう」と言う。
「右手のリハビリを早くしないと固まってしまうのではないか?」と聞くと、手の方は作業療法士の分野だとの答えが返ってきた。作業療法士はこの中のどの人か?との問いに、この病院には居ないと答える有様であった。

やむなく、やり方を教えてもらって自分でやり始めた。
車椅子を頼んで、乗り降りの練習も自力で始め、発病後1ヶ月経った時点で車椅子は勿論、杖すら不要になったので退院を申し出た。家族も担当医も初めは猛反対であったが、結局33日間で退院できた。

自宅に戻って落ち着いて考えた。
医者も療法士も頼りにならない、となったら自力で回復を図らねばならない。
半身麻痺を直す薬はないこともわかった。
そこで、ウォーキングと体操は勿論だが、呼吸法と指回し体操によって“気”が出るよう目標をたてた。

1年後、転居を機に横浜の脳外科の権威を訪ねた。
60歳台のその医師はMRIを見て驚きの声を上げた。「奇跡的な回復だ。奇跡としか言いようがない」

その後も回復は順調で、2年半経った現在、生活に不自由のないところまでこぎつけてきている。
テニスコーチを30年やってきた経験から1つだけいえることは、コーチに依頼心が強い人ほど上達が遅く、少し小生意気なくらい自立心の強い人ほど、上達が早いということである。

病気の後遺症に悩む人は多い。なかには早々と諦めてしまう人も少なくない。
難問ではあるが、道がないわけではない。プラス思考で道を探っているうちに自ずと、その人にあった方法がみつかるものである。

テニスには“ノーグリップ・ノーフォーム”という言葉がある。
無茶苦茶流で良い、というわけではない。
チャンピオン達は皆同じグリップ、同じフォームではなかったのだという教えである。

私は今64歳。70までにはテニススクールを再開したいと念願している。

(神奈川県発信)

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